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熊本地方裁判所 昭和41年(わ)583号 判決 1968年11月01日

被告人 岸俊男 外三名

主文

被告人榎本六郎、同榎本巳之助を各懲役六月に、被告人岸俊男、同本郷親英を各懲役三月に処する。

但し、この裁判確定の日から各二年間右各刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人三苫晃裕、同今本春男、同落合通男、同中山弘道、同浜野延雄、同坂井義忠に給した分は被告人岸俊男、同本郷親英の連帯負担、証人大原弘、同村尾美吉に給した分は被告人榎本六郎の負担、証人井上源次郎、同山口恒博、同中西政雄に給した分は被告人榎本巳之助の負担とする。

被告人岸俊男、同本郷親英に対する贈賄、被告人榎本巳之助に対する贈賄幇助、被告人榎本六郎に対する収賄、恐喝の各公訴事実についてはいずれも無罪。

理由

(犯罪事実)

第一被告人本郷親英は旧小倉市より同市所有の同市富野所在の山林の払下を受けこれを宅地として売却して利益を得ようと企てたが、資金がなかつたので資金提供者を物色中、これを知つた被告人岸俊男がこれに応じ、昭和三八年五月一五日被告人両名間に「本郷が払下を受けた場合は岸に権利を譲渡する。本郷は内一万坪を六月以内に買戻す。」その他成功謝金等の約旨のある契約が締結せられたが、右山林の払下は宅地建物取引業の免許を有する者でなければ払下を受けられないという制限は付せられていなかつたけれども、払下を受けた者はこれを宅地に造成して分譲することという条件が付せられていたことから、払下を受ける者の資力調査が厳しく、被告人本郷はそのため先に資力のある弟本郷義澄と連名で払下願を提出していたがこれを受理され(尤も義澄はその後辞退した)、五市合併によつて北九州市となつた同市小倉区田町小倉区役所において昭和三九年三月三日同市がその所有の富野字立岩一、七五七番地の三外六筆の山林登記簿上合計二三町五反六畝二四歩(約二三三、七三一平方米)を宅地造成を条件として入札公売した際金五一、八六一、三八四円で落札して買入れた(最終的には山林実測約一八八、〇四七平方米しかなかつたので代金は四六、三六〇、七二九円となつた。)が、同年同月五日頃被告人両名は前記両名間の契約は市との随意契約を前提とし公入札を前提としていなかつたり買入代価が予想を上まわつたりして事情が変つたため契約を変更することとし、被告人本郷同岸以外に払下に尽力した榎本巳之助等への成功謝金等を定めると共に「本郷は一年以内に一万坪を一坪六、〇〇〇円で買戻すこと、本郷は岸が払下費用成功謝金等を支払つたときは岸又はその指図人に土地の所有権移転登記手続をする。」等の契約を締結したが、払下代金支払のため被告人岸は被告人本郷に無断で払下地の一部である富野一、七五七番地の五外四筆のまだ造成されていない山林約二五、〇〇〇坪(約八二、六四四平方米)を代金一四、一〇〇万円で売却し、その代金で被告人本郷は払下山林の代金支払をなして市からその所有権移転登記を受けたものであるが、被告人本郷は前記契約に基き被告人岸に対し印鑑証明と白紙委任状等所有権移転登記に必要な書類等を手交しておき、同年八月頃被告人本郷同岸は払下土地の宅地造成を業者に請負わせ、一方同年九月頃宅地造成並びに販売等のため大日興業株式会社を設立してその取締役となり、更に被告人本郷名義の宅地分譲パンフレツトをつくつたり新聞に広告をし、一方被告人岸は被告人本郷の世話で日本殖産、明治不動産等に対し右土地の委託販売契約を締結したが、資金難に由来する杜撰な造成工事のためこれに基いて成立した売買契約は一件もなく、造成資金に困り、被告人本郷同岸は共謀の上、いずれも宅地建物取引業の免許を受けていないのに、

(一)  昭和三九年一二月一六日頃小倉区京町七丁目二一二番地薬局経営三苫晃裕に対し既に略宅地として造成していた同区富野字鳥越一、七六〇番地の一所在の登記簿上山林約三二四、七二平方米を宅地として金一、七四四、六〇〇円で売り渡し

(二)  昭和四〇年一二月六日頃福岡県遠賀郡水巻町頃末長沢節郎方において、同人に対し略宅地として造成していた北九州市小倉区富野字鳥越一、七六〇番地の一五、一六登記簿上山林三畝一八歩と三畝一三歩(合計約六九七、五一平方米)を宅地として金三、六〇三、一五〇円(後に減額して三、一七九、二五〇円となる)で売り渡し

もつて宅地建物取引業を営み

第二被告人榎本六郎は住友金属工業株式会社小倉製鉄所に勤務し厚生課の事務を執つていたものであり、同時に小倉市議会議員昭和三八年二月以降は北九州市議会議員であるが、岸、本郷より払下山林のうち一万坪(約三三、〇五七平方米)を自己の勤務する住友金属の社宅用地として買入れるにつき尽力するよう依頼されその斡旋をしていたところ、昭和四〇年二月中旬頃同人等から銀行等より融資を受けるについて住友金属が社宅用地として購入する予定である旨の証明文書の交付方を要求されるに至つたが、同人等から選挙資金の援助を受けていることでもあるので断りきれず右文書を偽造しようと企て、行使の目的を以て、同年二月二七日頃住友金属小倉製鉄所において、擅に同会社の名義を刷り込んだ社用便箋二枚の社名の下に社印とまぎらわしい同社労務部安全厚生課長の職印を各冒捺した上、同日小倉区浅野町二丁目大日興業株式会社において情を知らない本郷、岸の両名をして、カーボン紙等を用い「大日興業株式会社より同区大字富野字立岩一、七五七番地の三外二筆の山林について宅地造成の上買上げられたいとの希望申出があつたが、同所は環境その他の立地条件も適当であり購入予定地として採用したい。当社の希望条件としては水道が完備していること、建築線が確保されていること等々。」と記載させ、もつて昭和四〇年二月二四日付の「富野地区宅地造成地買入の件」と題する住友金属工業株式会社小倉製鉄所名義の有印私文書正副各一通を作成して偽造を遂げた上、同年同月二八日頃情を知らない岸をして熊本市春竹町一、三五一番地太陽商事株式会社において右偽造文書の正文書一通を真正に成立したもののように装つて黒川篤に交付せしめてこれを行使し

第三被告人榎本巳之助は前記山林払下に協力しその後の宅地造成についても相談を受けていたものであるが、右宅地造成によつて生ずる排土は北九州市の埋立工事に利用すれば一石二鳥であると考え、地方自治法に基づき福岡県及び北九州市が港湾の管理運営のため設立した一部事務組合である同市門司区西海岸通り所在の北九州港管理組合より同組合が発注する埋立工事について松本建設株式会社を入札業者として指名させこれに工事を落札させようと企て、昭和四一年八月三日頃右組合において入札業者の指名につき選定権等を有する公務員である同組合工務部長畑中汪、同組合門司管理局長横尾進、同組合管理部長長田登美男に対し(但し、畑中に対しては長田及び曾我薫を通じて)同組合発注の建設工事の指名等につき松本建設のため有利な取扱をされたい旨請託をなした上、同月一三日頃松本建設名義を使用して同市小倉区田町三四〇番地玉屋デパート小倉店に右三名に対する商品券の配達を依頼し

(一)  昭和四一年八月一三日頃同市門司区藤松青葉台二番地の一三畑中汪方に中元名下に同デパート商品券二万円を配達させて同人に供与し、以て同人の職務に関し贈賄し

(二)  同年同月一四日頃福岡市香椎町鎧坂五五〇番地横尾進方に右同様商品券二万円を配達させて同人に供与し、以て同人の職務に関し贈賄し

(三)  その頃北九州市門司区庄司町一四番一号久保町市営アパート長田登美男方に前同様商品券二万円を配達させたが、直ちに同人から返戻され、以て同人の職務に関し贈賄の申込をなし

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(宅地建物取引業法違反について)

第一宅地建物取引業法における宅地とは同法第二条によれば「建物の敷地に供せられる土地をいい」云々と規定せられていて、登記簿上の地目の何たるかを問わないことは勿論であるけれども、利用者の主観的目的が宅地として利用するというにあるだけでは足らず、土地の客観的形状が少くとも宅地として使用しうる程度になければならないと解すべきである。

ところで、宅地建物取引業法違反として起訴せられた訴因は、被告人岸同本郷は共謀の上宅地建物取引業の免許を受けないで(1) 昭和三九年三月四日頃判示のとおりの山林を宅地として造成を条件に落札して買い入れ、(2) 同年四月三〇日頃福岡市中洲五丁目六の二五日本弘信産業株式会社福岡支店において支店長山崎寅太に対し小倉区富野一、七五七番地の五外四筆の山林合計八二、五〇〇平方米を宅地として金一四、一〇〇万円で売り渡し、(3) 昭和四〇年三月八日頃小倉区浅野町三河町三河ビル内大日興業株式会社事務所において日本ナザレン教団小倉教会代表者小林隆利に対し同区富野字内ケ畑一、七五八番の五外一筆の山林合計一、三八六平方米を宅地として金六六〇万円で売り渡した事実をも含んでいるけれども、前掲記の各証拠と元墓地公園処分綴(同号の二五)に照らせば、本件土地の払下当時及び日本弘信への売却当時これらの土地はいずれもまだ山林又は原野であつて到底宅地とはいいえない状態であり、また日本ナザレン教団に売却された土地も当時は一部造成がはじめられていたけれどもこの土地は造成された形跡はなく(被告人本郷の昭和四一年一二月一六日付司法警察員に対する供述調書には造成された旨記載があるが、これは同被告人の検察官に対する同年同月二六日付供述調書により実質上訂正されている。なお右検察官調書にはそのまま宅地として使用しうると記載してあるけれども、被告人岸の検察官に対する昭和四一年一二月二七日付供述調書にはその反対の記載もあるのである。)、この程度の証拠では原野と認めるの外はなく宅地ではないといわなければならない。そうすると右の三つの訴因については宅地建物取引業法違反罪は成立しない。

しかし掲記証拠によれば判示(一)(二)の土地はいずれも売却当時宅地造成工事が六〇パーセントは進んでおり宅地としての外形が形成されているということができ、また当事者間で宅地として売買がなされているのであつて、宅地建物取引業法第一条に掲げる宅地建物の取引の公正の確保、事業に対する規制の必要性、業務の適正な運営という法の目的に照し同法第二条の宅地に該当するものといわなければならない。

第二次に被告人両名が業として行つたという点について説示する。

(一)  被告人岸及びその弁護人は「被告人等の企図するところは払下を受けた土地を宅地に造成してこれを販売することによつて利益をあげようとすることにあつたことは事実であるが、宅地建物取引業の免許を有する業者に販売を委託してこれをしようとしたものであることも明らかであり、ただ資金獲得のため宅地の正規のルートからはみ出した個々の特殊事情による例外的事例として本件売買が行われたに過ぎない。これらをとらえて業として売買を行つたとするのは失当である。不動産取引においての事故を防ぐためには取引に必ず一人の資格ある業者が関与していれば消費者の利益を擁護しうるのであるから、本件のごとく宅地造成業者が直接宅地を分譲するに際してもそこに資格ある取引業者の関与があれば充分であつて、その場合には造成業者が直接分割販売してもよいものというべきである。」と主張する。

(二)  被告人本郷及びその弁護人も同様に業として売買したものではなく取引免許のある業者に販売委託をしているものであるが、それによる売買が実現しなかつたとこから已むをえず金融のためという特殊事情により本件各売買が売却又は代物弁済としてなされたものであること、日本弘信や三苫に対する売却は被告人岸が勝手にしたことであつて被告人本郷は関知しないと主張する。

(三)  これらの点についての判断は判示事実の前文に詳記のとおりであるが、これを要点に分けて分説する。

(1)  本件土地の払下は払下を受けた者が宅地に造成して分譲するということが条件となつていたのでその資力のある者が払下を受ける有資格者であつたに拘らず、被告人本郷はもともとその資力がなかつたのに資産のある弟義澄と共同の払下願を提出して市当局の審査に合格したのである。

(2)  それで被告人本郷は資力ある協力者を物色して被告人岸の協力を得るわけであるが、今後これだけの広大な土地造成事業を行おうとするのであるから、出資者である被告人岸の資力について仲介者の言だけでなく充分の調査をなすべきであるのにこれをした形跡がなく、また一方被告人岸も自分自身何等資力がなく黒川篤が他から借り出した金に依存していたものであつて、被告人等は結局無資力で本件のような広大な土地の払下を受けて宅地造成をしようとしたわけであり、このこと自体無謀であつたのであつて、この点が本件で最も注意すべき点である。

(3)  払下について右の条件がついているので払下後引続いて判示前文記載のとおり被告人両名は手分して或いは共同して宅地造成事業にとりかかつたわけであつて、そのために概括的な権利関係の内部的取り決めをしたのが昭和三八年五月並びに昭和三九年三月五日の契約であると認めるのを相当とする。右再度の契約が被告人本郷から被告人岸への権利の移転即ち転売であつてその行為は共同事業でないというのは事実に反する。造成分譲はいずれも共同事業として営まれており、その終了時に清算をしなければならないわけであるが、それが終るまでは被告人両名間の所有権移転といつてもそれは内部関係にすぎないのであつて、結局は債権債務関係に帰するのである。

(4)  払下代金は本件払下土地を転売した売得金によつて支払うより外にない状態であつたので、被告人本郷は判示のとおり昭和三九年三月五日の覚書によつて被告人岸又はその指図人へ所有権移転することを承諾し、必要書類等を被告人岸に手交したものであつて、被告人岸又はその指図人への所有権移転を概括的に認めていたものである。従つて被告人岸がそれに従つてなした転売は被告人本郷の承諾範囲内のものというべきである。一方被告人岸の方も掲記証拠によれば起訴された訴因の売却全部につき関与していること明らかである。そしてこれら各売却はいずれも資金獲得のため已むなく行われたこと弁護人主張のとおりであるけれども、これは特殊偶然の事情によるのではなく、これこそまさに本件における必然的事態であつたというべきであり、当然予想されるところであつたのである。即ち造成工事の不成功も資金不足によることは証拠上明らかであるし、そのために宅地建物取引の免許を有する業者に販売を委託しても成立した売買契約は一件もない状態であつて、遂に被告人等が個々的に本件契約を締結するに至つたものである。尚判示(二)の長澤への売却につき実質は代物弁済である旨主張するけれども、長澤の司法警察員に対する供述調書や押収してある売買契約書(同号の一)領収書(同号の二の(イ)(ロ))によると単なる売買契約であつて、たゞ登記までの間に代金を分割支払をしたに止まり、いうなればはじめ二〇〇万円の売渡担保であつたものを判示代金で完全に売却したというに止まるのであつて売買であることに変りはない。

右売買につき免許を有する取引業者に販売を委託したとしても、だからといつて被告人等の売却が許された行為となるものではない。この点についての被告人岸の弁護人の主張は採用しがたい。前掲証拠特に押収してある新聞(同号の四一)パンフレツト類(同号の三〇、三一)によつても被告人等が右土地を反覆継続して分譲しようとした意思を有していたことは明らかである。たゞ前記のとおり偶々宅地でなく山林又は原野であるという理由から宅地建物取引業法違反にならないと目されるものがあるにすぎないのであるが、これは営業犯の一部無罪に該当するから主文において特に無罪の言渡をしない。

(贈収賄贈賄幇助公訴事実の無罪である理由)

第一被告人岸同本郷に対する贈賄、被告人榎本巳之助に対する贈賄幇助、被告人榎本六郎に対する収賄の公訴事実の要旨は

被告人榎本六郎は北九州市議会議員として同議会における議案の審議調査議決等の権限を有する公務員であるが

(一)  被告人岸同本郷は宅地として分譲して利益を得るため黒川篤と共同して昭和三九年三月三日頃北九州市より同市小倉区富野一、七五七番地の三所在の山林約二三三、三二三平方米の払下を受けたが、被告人岸同本郷は共謀の上、同市が右山林の売却処分をするについて榎本六郎から同市議会の審議状況入札期日入札価格指名業者等について情報の提供を受け、議決に関して便宜な取扱いを受けた謝礼として、榎本六郎に対し

(1)  同月五日頃同区徳力料亭「幸楽」及び同区鳥町バー「さち」において約一三、〇〇〇円相当の酒食の饗応をなし

(2)  同年五月下旬頃同区許斐町一番地住友金属工業株式会社小倉製鉄所応接室において現金五〇万円、同年六月初旬頃同所において現金一〇〇万円を供与し

以て同人の職務に関し贈賄し

(二)  被告人榎本巳之助は被告人岸同本郷が右のとおり兄榎本六郎に対し現金一五〇万円を贈賄するに際し

(1)  同年五月下旬頃小倉区魚町日活ホテルにおいて被告人岸より額面五〇万円の小切手を受取り、同区京町四二番地旭相互銀行小倉支店において換金した上、同日小倉製鉄所応接室において現金五〇万円を榎本六郎に手交し

(2)  同年六月初旬頃同区鳥町一二番地住友銀行北九州支店において先に同年五月下旬頃被告人岸より受領していた額面二〇〇万円の約束手形を換金の上直ちに小倉製鉄所応接室において現金一〇〇万円を榎本六郎に手交し

以て被告人岸同本郷の榎本六郎に対する前記贈賄を容易ならしめて幇助し

(三)  被告人榎本六郎は北九州市が前記山林を落札者本郷に売却し売買契約を締結するについて同議案の審議議決等に参加したものであるが、本郷等より右売却処分に関する議会の審議状況入札期日入札価格入札指名業者等に関する情報の提供を受け、速かに本郷が落札できるよう議決等について便宜な取計らいを受けたことについてその謝礼の趣旨で供与されるものであることを知りながら

(1)  昭和三九年三月五日頃北九州市小倉区徳力料亭「幸楽」及び同区鳥町バー「さち」において約一三、〇〇〇円相当の酒食の饗応を受け

(2)  同年五月下旬頃及び同年六月初旬頃(一)の(2) 及び(二)記載のとおり岸、本郷から供されるものであることを知りながら現金合計一五〇万円の供与を受け

以て自己の職務に関し賄賂を収受し

たものである。

というのである。

第二右事実関係の証拠によれば、被告人榎本六郎が昭和三四年小倉市議会議員となり昭和三八年二月小倉市が北九州市に合併になつてからは北九州市議会議員として今日に至つていること、その間昭和三八年から昭和四〇年頃までは文教港湾委員を勤め現在は文教委員を勤めていること、本件払下に関し市有地処分について及び市と本郷間の市有地売買契約締結についての各議案が議会に上程せられた各議会に出席して原案賛成の意思表示をしたこと、その前被告人榎本六郎は被告人榎本巳之助と共に昭和三八年秋頃被告人本郷から本件土地が本当に払下になるのかどうか、払下になるとしたらどんな方法によつて払下られるのかその方法、入札によるとすればどうすればこれに参加することができるのかその手続、これに関する議会の審議状況、競争入札の相手方の氏名、入札価格等について教えてくれとたのまれ、市管財課長千代丸頼光に被告人本郷を紹介してやつたり、市の職員に問い合せて、払下になる筈であること、それは入札の方法による予定であること、競争相手の氏名並びに議会における払下時期についての審議状況払下時期等について教えてやつたりしたこと(尚価格については被告人榎本六郎の自供調書中に教えてやつた旨の供述があるけれどもにわかに信用しがたい。)、そして払下のあつた後(1) 記載の「幸楽」及び「さち」において饗応を受けたこと、被告人榎本巳之助は(二)記載のとおり小切手と約束手形を受取り換金の上これを兄である被告人榎本六郎に手交したことを認めることができる。

第三しかしながら、証拠によれば被告人榎本六郎が本件払下に関し依頼されたのは前記認定の趣旨を出でず、他の市会議員に対し払下促進ないし被告人本郷への払下が成立するよう働きかけたとの証拠は存しないのであつて(却つて被告人本郷に対し議会工作はその必要がないし有害である旨答えている。)、被告人榎本六郎のなした行為中市職員への紹介だとか入札時期手続方法払下審議状況払下時期等を教えたことは議員でなくても可能であるがたまたま議員であればそれが容易であるというだけのことであり、議員たる職務とは密接な関係がないといわなければならない。殊に議会は公開されているのであつてこの内容を告げたからといつて何ら問擬されるところではない筈のものであろう。ただ特定の個人に特定の目的のためにそのような行動をすることの当否は自ら別個の問題である。検察官はこれは単なる斡旋又は調査行為ではなく議決権の行使を背景にしてなされたもの、つまり将来の議決権行使を含めての斡旋調査であるから議決権行使という職務行為の準備行為とも言うべきもので職務と密接な関係があるというけれども、その立論はもつてまわつていて言わんとするところはよくわからないし納得しがたい。

更に、検察官は被告人岸同本郷は被告人榎本六郎に対し払下に関し議決権を有利に行使してほしい旨依頼しておりその趣旨で贈賄しておりながら、この行使があまりにも当然のこととして予想されるので却つて問題視されていないのであつて、このことは公職選挙法違反事件において選挙人に対する買収事案において供与者が選挙運動に対する報酬だと供述している場合であつても当然候補者に対する投票に対する報酬をも含んでいると考えられて、投票及び運動買収として認定されているのと全く同じことであると主張するけれども、証拠によれば本件払下は小倉市が昭和三八年二月北九州市に合併になる前に既に払下になることは確定しており、本件の審議状況(押収物同号の一八ないし二四)被告人等の当公判廷における供述によつても、本件土地が払下になることは当然のこととして当事者間には考えられていて誰も被告人榎本六郎に一票を投じてもらう趣旨で依頼したと認めるに足らないし、また議会における審議状況も何等異論なく原案どおり可決されたのであつて、被告人榎本六郎が議案に賛成票を投じた点は依頼の趣旨外と認めるの外はない。この点について公職選挙法の場合は一票が一票として意味をなす事案に属するに反し、議決は多数決であつて一票を争うような場合でない限り公職選挙法のような事案と同一に論ずることはできないが、本件では当事者が予想したとおり何等反対する者もなく他の案件同様可決されているのであるから検察官の主張はとおらない。

そうすると本件は被告人榎本六郎の職務と関連性がない饗応であり供与であるということになる。

第四次に、証拠によれば「幸楽」「さち」における饗応は本件山林の入札がなされた昭和三九年三月三日頃なされているが、「幸楽」に出席したのは被告人等全員の外被告人岸の叔父大鬼優造、被告人本郷の弟本郷義澄外一名であること、右宴会は落札の内祝であり、これまで世話になつた人々に対する慰労感謝の意味を含んでいること、被告人榎本六郎は住友金属の職員であつて払下土地は同社へ転売しようと計画されておりこれへの売込の依頼の意味もあつたことが認められる。そして被告人榎本六郎のこれまでの協力が市会議員の職務と関連のないことは上述のとおりである。なお「さち」での饗応は二次会である。

第五次に現金一五〇万円の供与については、証拠によれば被告人岸同本郷から数回にわたり小切手手形により被告人榎本巳之助に対し額面三〇〇万円分が手交されているけれども、これははじめ被告人本郷が被告人榎本巳之助に対し払下になつたら宅地造成をさせると約束していたのに、資金主である黒川や被告人岸との関係で被告人榎本巳之助に事業から手を引かせることにしたため、それまで被告人榎本巳之助が宅地造成に関する測量その他に用した費用の支払その他手切金の意味をも含めて三〇〇万円を成功謝金の名目で支払うこととした覚書(同号の一五)を作成して契約した関係から支払つたものであり、従つてその交付に当つてはその内の一部を兄である被告人榎本六郎に渡すようにとは誰からも一言も言つていないのであつて、被告人榎本巳之助が兄である被告人榎本六郎に債務を負つていて、この機会に債務を返済したのであるという被告人榎本兄弟の弁解は首肯しうるのであり(保証書写、金銭消費貸借契約証書写)、被告人等の供述調書中に榎本巳之助に渡せばその内のいくらかは当然兄である榎本六郎の方へ渡されるものと思つたとか、或いは黒川篤の供述調書中に三〇〇万円を榎本巳之助に渡すことにしたのは榎本六郎の名を出せば市会議員であつて工合が悪いから弟の名にしたのだという旨の供述はいずれも信用しがたい。なるほど、本件土地払下に関し被告人岸の資金主である黒川篤は被告人榎本六郎より請われて昭和四〇年初頃の選挙に際し選挙資金として一〇〇万円を被告人岸同本郷を通じて交付して援助している事実があるけれども、このことのために本件三〇〇万円の被告人榎本巳之助への交付をも当然にその半分は被告人榎本六郎への謝礼であるとすることはできないのである。住友金属への売込みのためにも被告人榎本六郎を市会議員たる地位に止まらせておく必要が黒川や被告人岸等にあつたと思われるからである。

第六被告人等はいずれも捜査のはじめ本件につき否認し、特に被告人榎本巳之助同榎本六郎は一五〇万円の授受の事実を否認しており、被告人榎本巳之助は三〇〇万円の使途について虚偽の供述をしており、後になつてはじめて本当のことを述べると言つて贈賄幇助収賄の情を知つて授受した旨自供したのではあるけれども、これは被疑者の立場としては已むをえない人間性の弱さを示すものであつて、このために被告人等の贈収賄性を認定するわけにはゆかないのである。

以上によつて右公訴事実についてはいずれの点よりするも犯罪の証明が充分でない。

(恐喝公訴事実の無罪である理由)

第一被告人榎本六郎に対する恐喝の公訴事実の要旨は

被告人榎本六郎は、本郷等が払下を受け日本弘信に売却した約八万平方米の山林の宅地造成工事を下関市豊前田町三の七所在松本建設株式会社下関営業所に施行させ、それに伴つて生ずる排土約一三万立方米を北九州港管理組合より埋立工事を落札施工することにより利用して一石二鳥の利益を得るよう本郷等と協議決定し、既に右山林の一部である通称富野自由ケ丘団地につき本郷より宅地造成工事を請負施行した工事代金一、五六〇万円の支払を受けることができないため右宅地造成工事に乗気でない右下関営業所次長山口恒博等にその施行を強く要求すると共に、右管理組合に対する運動費名下に五〇万円の提供方を求めていたところ、昭和四一年八月一二日頃北九州市小倉区古船場町田川旅館において同次長山口恒博等からこれを断られたため憤慨し、同人等から金員を喝取しようと企て、同所において山口等に対し「上の山の造成工事をやらんと言うが今迄排土処分について松本建設名義で運動をして来て今更他所の業者の名前が使えるか。俺の顔がつぶれる。俺が動いている費用でも莫大なものだぞ。車代だけでも二、三〇万ではすまんぞ。そんなことをしたら北九州で松本建設には仕事はさせんぞ。」等と申し向け、右工事を施行し運動費を提供しなければ自己の地位を利用して今後同社が同市において事業を執行することができないよう妨害するような気勢を示して脅迫し、その旨同人を畏怖させ、因つて山口をして翌一三日頃同市小倉区大字足原八九二番地の被告人方自宅において現金五万円ウイスキー一瓶(時価三、〇〇〇円相当)を交付させてこれを喝取したものである。

というのである。

第二右に関する全証拠を検討しても被告人榎本六郎に山口等に対し畏怖させて財物を喝取しようとの意思を認めることができないし、また山口は被告人榎本六郎の言に畏怖して現金やウイスキーを交付したものとも認められないので恐喝罪は成立しない。以下公訴事実中認められない点のみを述べる。

本件関係の証拠殊に証人金長正美、同山口恒博、同田辺清史、同曾我薫、同長田登美男、同中西政雄の各尋問調書、田辺清史及び山口恒博(三通)のこの点に関する検察官に対する各供述調書に押収してある領収書(同号の一六、一七)及び被告人等全員の当公判廷における供述を総合すると、松本建設は自由ケ丘団地の宅地造成をしたのが北九州市でのはじめての請負工事であり、その契約に関係した下関営業所次長山口恒博は大いに張りきつていた矢先工事代金不払にあつてあせつていたこと、この失敗を取り返すために何とか一層の成功をしたいと考えて山口は榎本巳之助等にすがる気持であつたこと、同人は非常に優柔不断な性格で決断力がなく他人に左右され易い性格であること、それで昭和三九年七月二六日頃田川旅館において被告人榎本六郎榎本巳之助等と会合し、日本弘信に売却された山林の宅地造成工事をして排土を北九州港の埋立に利用するよう慫慂されたが、前の代金が未納であるため気乗りでなかつたけれどもその性格上はつきりと断ることもできず、上役と相談すると言つてその場は別れたこと、その後榎本巳之助に言われるまま排土を埋立工事に利用するため榎本巳之助曾我県会議員に連れられて北九州港管理組合に対し下関営業所矢部課長と共に行つて紹介してもらい工事指名運動をしてもらつたこと、その頃山口が榎本巳之助に対し「運動費用がいるでしようね、二、三〇万円はかかりますかな。」と尋ね榎本巳之助が五〇万円位だろうと答えたことがあり、山口は本社に相談してみると言つたことがあること、その後榎本巳之助や被告人榎本六郎から山口に対し電話で右の金はどうなつているかと催促の問合せがあつたこと、八月一二日頃田川旅館において第二回の会合があり、被告人榎本六郎、榎本巳之助、松本建設営業部長田辺清史、山口恒博等が落合つたこと、その席には被告人榎本六郎はおくれて行つたこと、まだ被告人榎本六郎が出席しない前に田辺は松本建設の方針として日本弘信の土地の工事はしない旨述べ、これに対し榎本巳之助がそれでは困ると言つているところへ被告人榎本六郎が到着し、その旨をきき、これまで前記のとおり弟榎本巳之助共々尽力しているのに今になつて工事を断られたのにいたく憤激して公訴事実記載の趣旨のことを口走つたこと、しかし結局それでは松本建設名義を貸して下請させてくれ下請人としては中西組にさせてほしいと申入れ、田辺の方では内心ともあれこれを肯定するかのごとき口吻をもらし相当料の名義料をもらう等と言い、今後のことを約して別れたこと、その帰途田辺は山口に対しどんなに言つてきても金をやつてはならんぞと言つていること、第二回会合以後被告人榎本六郎も榎本巳之助も松本建設又は山口に対し金品の要求をしていないこと、その後榎本巳之助は松本建設名義で中西組井上工務店が資金を出して前記認定のとおり管理組合の職員に商品券を贈つたこと、山口は松本建設の営業方針と自分の活動とが齟齬を来すのを不満に思つていたが、第二回田川旅館での会合の結果被告人榎本六郎と榎本巳之助等に気の毒な結果になつたと思つてすまない気持から、田辺の前に言われた言葉とは別に個人としての自分の気持を表わそうとして本件贈与に出たことが認められる。

被告人榎本六郎等は第二回田川旅館の会合前に山口に電話で金員を催促しているけれども、これは恐喝でないのは勿論である。次に第二回田川旅館会合における発言がこれまでの行き掛り上のその場の怒りに基づくものであり、そのことが社会的に妥当であるかどうかは免も角として、被告人榎本六郎に恐喝までして金員を取ろうとする犯意までを認めようとするのは無理であるというべきであつて、このことはその後金品を要求していないこと及び直ちに下請の話を持出していることによつても窺えるのである。要するに金を出させるのが目的ではなく弟榎本巳之助が尽力している工事をするかのごとく言いながら断つた松本建設の態度、客観的には本社と下関営業所の山口との方針の矛盾に憤慨したものと認めるのを相当とする。

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人岸同本郷の判示第一の行為は宅地建物取引業法第二四条第二号(第一二条第一項第三条第一項)に、被告人榎本六郎の判示第二の行為中有印私文書偽造の点は刑法第一五九条第一項に、同行使の点は同法第一六一条第一項第一五九条第一項に、被告人榎本巳之助の判示第三の各行為は各刑法第一九八条第一項(第一九七条第一項)罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に各該当するので、判示第一につき各所定刑中懲役刑を選択し、判示第二の偽造と行使罪とは刑法第五四条第一項後段の牽連犯であるから同法第一〇条により重い行使罪の刑に従い、判示第三の各行為につき所定刑中いずれも懲役刑を選択し、これらは刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文第一〇条により最も重いと認める横尾に対する贈賄の罪の刑に併合罪の加重をなし、それぞれその刑期範囲内において、被告人岸同本郷を各懲役三月に、被告人榎本六郎同榎本巳之助を各懲役六月に処し、刑法第二五条第一項によりこの裁判確定の日から各二年間右各刑の執行を猶予し、訴訟費用の負担については刑事訴訟法第一八一条第一項本文第一八二条を、無罪の言渡については同法第三三六条後段を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松沢博夫)

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